国民民主党代表選挙の争点
今回の代表選挙の大きな争点の一つは「与党との距離感」に表わされる国民民主党の姿勢だ。これを確認したい。
党員サポーターではなく、全有権者にとって、日本の政治のあり方、将来に関わるからである。
(1)2020年国民民主党への参画
反対のための反対に終始する政党にも辟易をしてきたし、内輪への業界への利権を分配することを政治と考えている政党は政治屋でしかない。
政策が社会に与える影響は大きい。政策一つによって、社会を変え、一人の人生を支えもすれば、壊しもする。だからこそ、国会が主権の最高機関と位置付けられているのだ。
そうした国会の本分を果たせる党、政権を担う潜在力、政策ができるメンバーが揃っていると、私は、2020年この国民民主党に参画をした。
2009年政権を担った民主党が掲げたの旗「生活者の視点」は間違っていなかったと私は考えている。
そして、その民主党の旗を引き継ぐとともに、民主党政権が短命となった理由はいくつかあるが、その一つである経済政策と安全保障について、現実に軸足を置いて進めていけるのが、この国民民主党と捉え、立ち上げメンバーを見て、政策をやるなら、ここだと参画をした。人の縁も、全てがここに導いてきたと思う。
今回の代表選挙において、お二人の真剣な姿勢、厚く深い議論を目の前にして、改めて、ここに参画したことを誇りに思い、間違いではなかったと確信している。
(2)国民民主党は「自民党の下請け」と言われることについて
しかし、有権者からは「自民党の下請けでしょ」という言葉が投げつけられる。報道のあり方も一つの要素ではあるが、2022年度当初予算案賛成は、国民民主党の立ち位置にかかる有権者の認識について、大きなターニングポイントの一つではあった。
①今、政権を握っているのが、皆さんにわかりやすく、仮に、時の政権が共産党の場合なら、と考えてみたい。すなわち、議員内閣制なので、国会で共産党が多数を占めていて、首班指名で首相が共産党から出ているという状況を仮に考える。
この場合、国民民主党は、政権に対して、個別案件で要望を申し入れ、その実現が見込まれたという状況の下で、当初予算編成時に賛成をするのだろうか。
予算は、その政党が目指す社会を実現するための政策や事業にかかる裏付けであり、通常、綱領は言葉で書かれているが、その具体化について数字で表しているものが当初予算であるからである。
賛成するとは、その目指す社会へ後押しするという意味を含んでいる。だからこそ、これまで野党は、与党が支える政権が示す当初予算案に賛成票を投じて来なかった。なぜなら、他の社会を志向するから、与党と連立を組んで政権に入らず、対峙する存在として位置することを選択しているからだ。それは、現在政権を握っている政党とは、別の社会のあり方を目指していますよ、というメッセージに他ならない。
故に、国民民主党は、自民党との連立を見据えている、あるいは、閣外協力をするのではないか、そういう声が上がるのも無理はない。
②もちろん、当初予算に対する賛成は、NOから始まる政界の中で、議論の席に与党を座らせるため、ということも念頭にあったであろう等の状況も、私自身は推察するも、一般有権者に取っては、政治でのえげつなさなど、関係はないし、そんなことはわからない。
そうなれば、自民党を支持する方は、本物の自民党を選択する。無党派層を含めて、今の政権に変わる受け皿を探している有権者からは、国民民主党は選択されない。他の政党を支持することになる。
だからこそ、今回の代表戦で、玉木さんは、国民民主党は「自民党の為に働いたことは一度もない」「自民党にすり寄ったことはない」「国民生活に寄り添い、国民の補完勢力だ」と発言しているが、そのことを、明確に強く打ち出していただきたいと思う。
(3)私の初心「自民に変わる政治」
自民党の政権下で推進されてきた政策の下、そして、改変がされない制度の狭間で、泣いている人がこんなにいるのか、と当事者を目の前にし、一件一件支援することは大切なことではあるけれども、蛇口を止めなければならない、構造を変えなければならない、その思いで、「一人ひとりの声を形に」を掲げて、2009年、私は、退路を立って覚悟を持って、政治に立った。そうした私にとって「自民党の下請け」と言われることは自分の政治に立つ者としての信条としても受け入れ難いことである。と同時に、しかしながら、そう言わざるを得ない有権者の思いもわかるだけに、それをまず受けとめることしかない状況に置かれてきたことは、今回の代表選の機会に、改めて記したいと思う。
(4)政党の本質
政党とは、目指す社会について有権者に問い、政権を握ることによって、制度を変え、政策を立ち上げ、事業を支える予算を決断し、政策効果を社会に生み出すことにより、目指す方向へ社会を牽引し実現する政治集団である。
政権に向けての闘争をすることが本質である。
「政権交代とは革命である」文字通りである。
個別要望についての陳情をすることでよしとするなら、政党の体はなしているとしても、それは単なる圧力団体/組織の一つ、そこにあるのはロビー活動でしかない。
国家構造は、チェックアンドバランス(抑制と均衡)の構造で構成されていることは周知の通りである。三権分立もそうだし、自治体の二元代表制もそうである。
国会の中でもそうである。緊張感ある政治構造が求められている。様々な立場からの視点で、潜在する社会課題を政治議題として引き上げるとともに、その議題に対して、多面的に議論を行い、決断に至るようにするためである。
ちなみに「対決より解決」「批判より提案」とは、時の政権の下請けになって政策を差し出すことのようにマスメディアで使われることがあるが、本来的な意味は、スキャンダル追求の国会や劇場型の国会ではなく、まさに、社会に山積する課題を解決するための政策について、A案B案について、真正面から議論する国会を取り戻すのだという内容を含意している。そういう言葉として、私は捉えてきたし、そう使ってきた。
(5) 政治を変えなければならない理由
「日本の再生には、政治を変えなければならない」前原さんの言葉は、私も長年思ってきた言葉でもある。
私自身、折に触れ、マイクで政治構造を変えなければならないことの理解を繰り返し訴えてきた。それは、政治構造によって採用される政策が異なり、その政策によって、社会のあり方、人の人生が全く変わってしまうからである。
自民党とは違う政治をつくることによって、自己責任で切り捨てられてきた社会のあり方の転換を進めたい。
「一部の大きな声が、全体の声とすり替えられている政治、これでいいのか」という私の姿勢は、そういう意味である。
社会にある課題の中で政治課題と引き上げられてこなかった項目を引き上げて顕在化させて、そして、課題毎に採用される政策を変えるということを意味する。
また、自民党の政治とは、日本全体のパイが縮小しようが、経済力が弱体化しようが、あるいは、国内で困窮する家庭やその中で将来の選択の幅を狭められる子ども達がいようが、年重ねてこういう状況になるとは思わなかったと下に俯く高齢者の方々がいようが、それを横目に見て、向き合わず、自分たちの内輪の利益が守られることを優先する政治である。
国家予算を自分の財布のように扱って、業界団体に分配をし、その見返りとして票を集めることを求め、そして、逆に票を入れない者がいれば、村八分にし締め付けを行う、飴と鞭による支配、それが自民党の政治である。
民主主義は、個々人の良心の判断に大きな信頼を置くものであるが、その前提には、選択の自由が保障されていなければならない。しかし、それを歪めるのである。利益誘導というと馴染みが深いかもしれないが、倒産に追い込む心理的圧迫も含むのである。ここ市内でも「大きな声では言えないんだけど、頑張って」という声をいただくが、そういうことなのである。また例えば、ガソリンもそうだが、減税ではなく、補助金という手法を採用されガチであるのも、その一つである。政策が歪むのである。
国際競争力の低下はもちろん、国内においても、中間層が細くなり、二極化/格差拡大し、少子高齢化と人口構造もライフスタイルも変化する中で社会保障制度も硬直したままであること。無知なのか、関心がないのか。それが自民党政権である。目の前のこと短期的なことばかりで、長期的にどうしていくつもりなのか。この20年同じ課題がそのままになっている状況に目眩を覚える。
自己責任で片付けることに、私は憤りを感じてきた。私は、こうした課題を生み出している原因を特定し、それに対する解決策を探すために行動してきたし、今活動を続けているのは、自分はそれを解決の為に穴を開ける一人にという思いからである。
ベーシックインカムとベーシックサービスの違い一つとってみても、これに理解のない方々には、今の、そして、未来における活力と安心を与えることはできないと思う。
(6)閥務のこと
都議の先輩の背中を間近にしてきたが、議会内での会派間はもちろん、地域地域での閥務がある。地域における構図づくりのための働きかけは、総支部長の責務でもあるが、日本全体の政治構造の中で硬直した状況になっていることは、事実である。
各級選挙制度の構造が異なっている。私自身、様々な選挙に応援に入り、学ばせていただいてきたが、活動/運動の仕方も全く異なる。区議市議は個人の信頼に重きがあり、都議はある意味半分政党半分個人票。参議院選挙は、比例票の積み上げになる団体戦だ。これに対して、国会と言っても、衆議院選挙は、以前の中選挙区制であれば都議と同じだが、小選挙区制を基本としており、参議院とその行動様式は異なる。小選挙区に比例制が並立しているが、小選挙区域を離れて活動する動きよりも、その小選挙区地域内での取り組みが重要であり、ある意味、衆議院選挙は、政治活動は自治体議員の動きに重なり、選挙枠組みに向けては首長選挙と似ている所がある。
そして、東京の特徴として、立憲、維新の他に、都民ファーストもある。これら各政党に、以前一緒に活動をしていた先輩や同期があるが、現在の日本中央/全体的な政治状況の中で、解けないパズルを都度解くような中にあるのは事実である。
あちらを立てればこちらが立たないという中での決断が政治の常であるとしても、れいわの伸長、参政党のような新しい政党、生活者ネット、社民、共産と長く活動している政党、自民、公明、八方もぐら叩きのような状況にあることは事実である。
野党間競争の状況とも言えるが、それを切磋琢磨するという言葉の一つで片付けられるものだろうか。
立憲が共産党と近くなり、立憲と都民ファーストとがガチンコとなっている中で、国民民主党と立憲民主党の距離が開き、都民ファーストと近くなるという状況が生まれている。2021年都議選は重要な岐路であった。そうした中で、都民ファーストと国民民主党とは、2022年参議院東京選挙区相互推薦をした中で、とりわけ多摩地域では、現場においては友好な関係を構築している。そういう工夫は可能ではあり、他の政党との関係は放置でいいのだろうか。
交渉の材料として手持ちのカードがないと放置されることなく、現場に立つ総支部長としての選択の幅を広げるための運営も求めたい。